ー私達は、同じ世界を輝き、壊し合って時代を創る。
渋谷 ホテルスター・シェル PM5:00
昭和の乙女の残り香がする天蓋ベッドで、一人の女が目覚める。女は、少女と言うべきか黒目の大きなあどけない顔をしていたが、その外見とは裏腹に、致すことはしっかりと致していた。
女「はい、もしもし」
女は気怠そうに電話に出た。女性は秘密の花園で綺麗になってゆくと言うが、この女はむしろ咲き乱れ過ぎたのか、すっかり生気を失っていた。
電話は、ホテルのフロントからだった。
フロント「そろそろチェックアウトのお時間になりますが、延長されますか」
女はベッドサイドの時計を見る。時計は午後5時を示していた。一緒にいたはずの男はどこにもいなくなっていて、この時初めて自分は置いていかれたのだと気付く。
女は思わず乾いた笑いが鼻から溢れてしまう。
フロント「あの、延長どうされますか」
フロントからの少々苛立った声に、女は思わず満面の笑みになってしまう。ー要件は的確に、か。
女「あぁ、すぐに出ますよ。あと10分で出ます…え、5分ですか。なるべく善処いたします」
女はそう言うと、まだ何か言いたげだった電話口の相手に無言のさよならを告げた。と同時に、素早く重たい布団を跳ね上げ、一矢纏わぬ姿のヴィーナスを誕生させたかと思うと、腕をひらひらとさせながら、シャワールームへと向かった。
渋谷 スペイン坂 PM5:15
女「うぅ…寒い」
起きてからすぐにシャワーを浴びてホテルを出た女は、まだ湯上がりのシャボンの香りがする肢体に纏った服が、あったまり切っていなかった。ずっと暖かい部屋の中にいたかったが、この世の中に居場所を作るにはお金が必要だった。そして、あいにく女に持ち合わせは無かった。
女は、眠りにつく前まで一緒にいた男に電話を掛ける。トゥルルトゥルルトゥルルン。トゥルルトゥルルトゥルルン。女はこの発信メロディーをまるで子守唄の様だと思った。どこら辺がそう思ったのかは分からないが、このまま眠ってしまえる程赤子でもないので、その考えはすぐに渋谷の路地裏に鳴りを潜める。
何度かの発信ののち、決まって電話は切れた。きっと男はスマホを見ていない。着信しているのに無視を決め込むような性格ではないからだ。ホテルを先に出たのも、ただ仕事があったからで、お金は払ってくれていたし、何よりも女のことを好いているのは分かっていたので、蔑ろにすることは決してないと、女自身が分かっていた。
女「あーあ。つまんないな。何しよう」
女は男といること以外に楽しいことが無かった。男は絶対自分に傅くし、身体的な空白を満たしてくれた。女は何をしていても暇だと思ってしまうので、何も考えられないくらい誰かに求められることは暇を忘れられるので、気持ちが良かった。
軽そうな男「ねえ、お姉さん一人?」
チャラっとした男「すみませーん。お姉さん芸能とか興味ない?」
女は少女を卒業してからそれなりの年月が経っていたが、日本男児ウケする童顔の持ち主の為、こういう人通りの多い街を歩くと必ず一回は声を掛けられた。暇はしていたので、誘いに乗っても良かった。けれど、一緒にいた男のことを考えると、自分の時間は男に使いたいのだ。と思えたので、無視を決め込んだ。
池袋 Bar金糸雀の棲む処 PM7:00
ホテルスター・シェルに女を残してきた男は、会社に少し寄った後、池袋の会員制Barにいた。所謂ラブホテルのサボンは独特の匂いがすることを男は知っていたので、サボンは使わずにシャワーを浴びて、オーデ・コロニュを纏って仕上げていた。
ーこれなら、先方にも先程までお楽しみだったことは気付かれまい。男はスター・シェルでの出来事を思い出すと、口元を綻ばせた。
財前「随分と嬉しそうなことで。何かいいことでもありましたか」
男が先にカウンターでグラスを傾けていると、少し遅れて財前がやって来た。
男「いいや、まあね。それより、君の方は随分と忙しそうじゃないか」
財前「例のプロジェクトが佳境に入っているんでね、あ、我々の出発は八月に決まりました」
財前は、男の前に書類を差し出した。書類の表紙にはたった一行「ウィステリア・プロジェクト(仮称)」と書いている。男は、その表紙の文字をじっと見つめている。
男「ついにか。ここまで来るのも中々長かったけど、しばらく外の世界ともおサラバかと思うと、それはそれで寂しいものがあるな」
男は女の美しい肢体を何度も記憶の中で反芻しては後ろ髪を引かれる思いがして、グラスの縁を指でなぞり遠い目をいていた。が、何度目かの反芻の後、妙案を思いつき、笑顔でこう言った。
男「でも、出発が楽しみだよ」