いい日旅立ち

 谷村新司さんが旅立たれたということで、私の昔話をしたい。

 1.谷村さんが作詞作曲をされたという「いい日旅立ち」。この曲は、私が物心つき始める頃くらいから東海道新幹線の車内メロディにもなっていて、新幹線に乗った時にこの曲が流れると「あぁ、私は今旅をしているんだ」と心がときめいた。

この曲のメロディには何とも言えない哀愁と微かな期待が感じられて、素晴らしく大好きな要素ではあるのだが、今回話題に挙げたいのは、私にとって忘れられない「いい日旅立ち」の歌詞だ。著作権的な問題が怖いので書けないが、サビで「私を待ってる人がいる」という箇所があると思う。大人になった今聞いても、改めていいフレーズだと感じる。が、私は、この箇所を幼い頃からずっと「私を呼んでる人がいる」だと思っていた。しかも、結構長い間「呼んでる人」だと思い込んで、疑いもしなかった。

小学校高学年だっただろうか。親に一度「私を待ってる人がいる、という歌詞だよ」と言われたが「そんな訳がない」と跳ね返した。その頃の私にはどうにも「私を待ってる人がいる」という歌詞がしっくり来なかった。というのも「待ってる」という動詞に強い受動性を感じたからだった。今から旅をするのに「待ってる」だと、おばあちゃんが田舎のお家で待ってる情景が浮かんでしまって、曲調と合わないじゃんか!と真剣に思っていた。

「いい日旅立ち」とは、誰かがこの広い日本のどこかで私を呼んでいて、その抗い難い引力が如何にか私に作用して、止むに止まれず旅に出ている。言うなれば「自分だけの運命を探しに旅に出る」そんなイメージの曲だったのだ。(そして、何なら、谷村さんの歌詞よりも、自分の「呼んでる」の方が絶対いい歌詞なのに…。くらい思っていた(大変失礼なことを考えておりました))。

 2.しかし、大人になった今、歌詞を読み返して改めて思うことは、やはり「呼んでる」よりも「待ってる」の方がしっくりくるということ、それから「待ってる」という歌詞がどれ程素晴らしいかということだ。

子どもの頃の私には、私を待ってる人がいるという現象は当たり前のことだった。家に帰れば親がいて、夏に帰省すれば祖父母がいて、塾では友達や先生がいて、色んな人が私を待っていてくれた。けれど、大人になるにつれ、私を待つ人は比例的に減っていった。上京して、家に帰ればいつも一人で、昔仲良しだった友達は今何をしているのか殆ど分からない子もいるし、私を可愛がった祖父はもうこの世にはいない。抜け殻のような家に「ただいま」と「いってきます」を言う毎日を過ごしている。

そして、大人になるにつれて、新幹線に乗る・旅をするということの意味が大きく変わった。何処かへ行くことは、まだ知らない何か・誰かと触れ合うことでもあるが、また同時に懐かしい何かに出会うことでもある。帰省したらもちろん「待ってくれている」人がいてそこに懐かしさを感じる。普通の旅行でも行く先々でいろんな人を見て(それは例えば道ゆく人だったり、お店の人だったりそういう接触のレベルでも)ほんの一瞬その人の人生に触れ合って、そこに一種の懐かしさや心の安寧を感じる。旅に出れば、美しい夕日や海や山、閉園間際のディズニーランド、大都会の夜、何でもない瞬間にすら何処かノスタルジーを抱く。

忙しい日々の中で、忘れていた懐かしさ。しかし、確実に私の中にある心惹かれる記憶は、ずっと私を待っていたのだろう。

旅に出て懐かしさを感じる時、私は私の中の記憶に「ただいま」を言うのだ。

 3.最近、昔の恩師に出会うことがあり、嬉しいことに「また歳を一つ取ったら報告しに来なさいね」と言ってもらった。恩師と話をして、懐かしい思い出を共有する時、昔と変わらない空間がそこにあった。

また、夏に秩父に一人旅をしてサイクリングをした時に見た夕日がとても綺麗で、家族で山に落ちる夕日を見て「カップラーメンに落とす卵みたいだね」と笑い合ったことを思い出した。秩父に来たことなんてなかったのに、昔から知っているような懐かしさを感じた。

「私を待ってる」何かに出会うと、普段、誰にも望まれず満員電車に乗り、1日の半分以上を外で過ごし、機械仕掛けの人形のように働いている私にも、こんな気持ちがあったんだとか、自分ってこんなに笑ったりするんだとかしみじみしてしまう。凍りついた心が溶けて、しあわせを感じているのが分かるのだ。旅って素晴らしい。

待ってる人がいるというのは素晴らしい。旅って最高だなと思うと共に、谷村さんの作り出した素晴らしい歌を聴きながら、彼の「いい日旅立ち」に想いを馳せたい。

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