浅香山ラプソディ第13話

 どうしたら先生を忘れられるんだろう。色んな人と付き合って、それなりに楽しかったけれど、やっぱり心の中には先生がいて、誰の思い出も先生の記憶を塗り替えることは出来なかった。時が経てば忘れられると思っていたのに、心は甘く苦しいまま、私は30歳を迎え、そしてまた変わり映えのない毎日を生きていた。

山本 咲希 31歳

29歳の時に、中川から先生の衝撃的な事実を聞かされてから、うだうだと知恵袋で同じ悩みを持つ人の投稿を見たり、占いをしてみたりしていた。だけど、もうそろそろ先生を忘れたくて、駅の大きな本屋さんで「自己肯定感の上がる本」とか「過去のモヤモヤを忘れる方法」とかいった自己啓発本を購入した。もう私も31だ。今を生きないと、この先老いるのは早いだろう。先日、何気なく老後のことを考えた時に

「介護施設に入れられてもなお先生の名前を呟き続けていたらどうしようか」

という考えが浮かんでしまって、それではあんまりにも私の人生と、聞かされる介護士の方が可哀想過ぎたので、いい加減呪縛から開放されたくなったのだ。

本を買ってから、すぐ横のカフェに入った。もしかしたら私の隘路を切り開く方法を書いているかもしれないその本をすぐにでも読みたい気持ちだった。私はアイスコーヒーを含んだ口でページをめくった。

本は、軽いワークをしながら進んでいく形式で、まず最初に「モヤモヤしていることを1分間書き出しましょう」という質問があった。

私は若干の気恥ずかしさを感じながらも、周りを見回してから紙ナプキンを取った。持っていた小さなペンで書き込む。

「先生を忘れられないこと」

「先生が私との約束を破ったこと」

「先生が私に遠回しに好きだと伝えてきたこと」

「先生が私と田中さんを比べたこと」

「自分が何者にもなれなかったこと」

とめどなく溢れる後悔や叶えられなかった願い、そしてずっと心に刺さっていた棘の数々。とても1分では書き切れそうに無かった。

「先生、どうして私を置いていったの?先生にとって私はどうでもいい存在だったの?」

「どうして出会うのがもっと早くなかったんだろう、もっと早く会えていたら先生と私は結ばれていたのかな」

「ねえ、先生は今何をしているの」

「こんなことしか考えられない自分が気持ち悪くて苦しい」

もうたまらずに、声が出そうになった。出会ってから人生の大半ずっと考えてきた存在。どうしてこうなってしまったんだろう、手に入らないとわかっていても、もう気が狂いそうだった。

誰にも話せずにいたこの気持ちの行き場が無さすぎて、次のワークに行くにはまだまだ時間がかかりそうだ。

この時初めて先生と出会いたくなかったと思ってしまった。

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