4.花まつり①
4月8日、この日は例年、天鳳寺女学院に新入生を迎える入学式があると共に、花まつりと呼ばれるイベントが開催される。花まつりといえば、お釈迦様の生誕をお祝いして甘茶が振る舞われるのが一般的なのだけれど、ここ天鳳寺女学院の花まつりは普通の花まつりとは少し違う。
「皆さん、本日の入学式のあと、花まつりで、皆さんの弟(てい)をお迎えします。式が終わった後、お数珠の授与式を行いますので、各自どなたが弟(てい)となられるか把握なさって下さい」
担任の中上敦子が落ち着いた声でそう告げると、2-Bの各々が師弟割りの書かれた紙を一斉に捲る音が聞こえた。
そう、天鳳寺女学院の花まつりは、お釈迦様の生誕をお祝いすると共に、師弟関係の誕生の場でもあるのだ。
いつもは椅子をギシギシやってる茉莉音も、この時ばかりは珍しく前後には揺れずに、真剣に紙を見ているようだ。それもそのはず、うちの師弟制度は厳しいので、弟がやらかしたら上級生の私達、師の責任にされてしまう。あまりにも問題が多いと、素行が悪い・日常の態度が悪いということになり、内申点にも響いてしまう。だから、どの子が弟になるかはこれから二年間の学生生活を大きく左右するのだ。まあ、名前だけで、何が分かる訳でもないけれど、天鳳寺の入学式で緊張するのは、何も新入生だけではないのだ。
「や…や…薬師院…や…あった!松ノ下菜々緒ちゃん、え。この子知ってるわ。近所!コンサル事務所の菜々緒ちゃんじゃん」
松ノ下ってあの有名な松ノ下コンサルのことなのだろうか。お金持ち同士って知り合いなことが多いというけれど、薬師院は大きいお寺だから、知り合いでも不思議ではないかもしれない。お金持ちネットワークは恐ろしい。
「ねえ、八幡…さんのも調べてあげるね」
茉莉音は急にかしこまって言った。茉莉音はやたらと声が大きい。本人はひそひそ声で話していると思っているのだろうけれど、割と周りに聞こえている。そのことを指摘してから、ちゃんと私のことを苗字にさん付けで呼ぶようになった。教室の外では私のことを八幡さんなんて呼ばないのだけれど、同級生のことは苗字にさん付けで呼ばないと、先生に見つかった時、叱られるのだ。
「八幡さんの弟は…齋藤まりかちゃん?っていうのかな、え、さいとうまりかちゃん?!」
茉莉音はよっぽど驚いたのか、手に力が入ったのだろう。「びりっ」と紙が千切れる音がした。
みんなが振り返る。茉莉音は「しまった」という顔で「…申し訳ございません」と謝った。担任の敦子が「薬師院さんはいつも賑やかそうですね」と抑揚のない声で言うので、茉莉花は「申し訳ございません…家がお寺で年中暗いから、その反動かもしれませんね、ほほほ」と反論したあと、私の方に振り返って「うるせぇよ」とつぶやいた。
齋藤まりか。その名前を聞いた時、教室の空気が変わったような気がした。今も、ひそひそと話しているクラスメートがいるのが分かる。まさかとは思うけれど、齋藤まりかって、あのアイドルの齋藤まりかだろうか。
アイドルグループ「君と見る世界は輝いて見える」通称「キミセカ」。メンバーは、六麓荘・苦楽園・帝塚山…といった高級住宅街のお嬢様限定で構成されており、キャッチコピーは「日本中誰もが憧れる女の子」という清楚系お嬢様のアイドルグループだ。結成当初は批判もあったものの、今や飛ぶ鳥も落とす勢いのこのグループは、今度神戸ワールド記念ホールでライブをするのだという。
齋藤まりかは、そんな「キミセカ」の奥池担当のアイドルだ。奥池は、六甲山腹にある高級住宅街で、日本のビバリーヒルズと呼ばれている。そんなところに住んでいるお嬢様で、しかもアイドルなんて、一体どんな子なんだろう。私とやっていけるのだろうか。というか、本当に私の弟はあのアイドルの齋藤まりかなのだろうか。
そんなことを悶々と考えていると、茉莉音が
「行くよ、愛」
と私の名前を呼んだ。柔らかな春の日差しと暖かい陽気が流れ込む教室には、いつの間にか、私と茉莉音の二人きりだった。
「え、いつの間に私達だけに」
「本当、馬鹿だな愛は。そんなんだからBクラスなんだよ」
茉莉音はすぐに私を馬鹿にする。私はムッとして「あんただってBクラスだろ」と言いかけたが、茉莉音は何かを察して
「私は、何事も程々がいいと思ってちょっと手を抜きました!まあ他にも色んな習い事してるし。仏教の中道って言葉知ってる?」
と意地悪そうに言った。いいよな、何事も器用に出来る人は。
「でも、愛いいな。『キミセカ』の齋藤まりかが弟なんて。羨ましい〜」
「まだ決まった訳じゃないやん」
「いや、奥池から通えるお嬢様学校なんて、うちか聖愛くらいしかないっしょ!絶対キミセカじゃん」
何故か私よりも嬉しそうな茉莉音は、何故か憂鬱な私の腕を引っ張って、スキップしながら講堂への廊下を行くのだった。