突然だけど、私は苦しい。何をしても楽しくない。新宿で買い物をしても、東北に旅行をしても、恋人といても、楽しくない―それが、苦しいのだ。
「森下さんって、スタイル良いよね、ダイエットの秘訣は?」これは会社の先輩からの評価
「都って、頭良いんだよ。慶應の文学部出てるんだって」これは習い事の友達からの評価
「都ちゃんはほんとにセンスがいいね、お母さんが手土産褒めてた」これは私の恋人からの評価
私、森下都は、自分で言うのもなんだけど、そこそこ上手く生きてる方だと思う。東京の名門女子校から慶應にストレートで進学して、今は誰もが知ってる大企業ITの広報。会社の福利厚生で家賃補助が手厚いので、代々木に住んでいる。彼氏はイベントサークルで一緒だった同級生で、ベンチャー企業の社長をしている。字面だけ見てたら悪くない人生だと思う。
「だけどね…」
私は自分の人生に満足してない。やり直せるとしたら、もっともっと上にいけたと思う。あと7点届かなかった東京大学、あと一歩で出場出来なかったミスコン、あと一押しが出来なかった洸平との関係、最終選考で落ちたミスiDとかサイバーエージェントとか博報堂とか。
そこそこ上手くやってこれても、誰かに熱烈に憧れられたり、自分の人生を心から愛せたりする訳ではない。私森下都は、それなりにやれても、最後の一人に選ばれない。誰にも代替不可能な存在になりたいと強く願っているのだ。
だからこそ、その為に努力を怠ってはいけない。もう誰にも負けたくないし、あと一歩で選ばれない悔しさをこれ以上味わいたくない。
―JR新宿駅、水曜夜20:00、東口にて
この日、私は人を待っていた。何をしても楽しくない私が唯一楽しいと思える瞬間だ。この人に会える約束があるなら、私はなんだってがんばれると思う。
「待った?」
雑踏からスッと背の高い洸平が顔を出す。ウェービーな髪が柔らかく揺れ「おつかれ」とつぶやく歯は白く綺麗に生え揃えている。
「ううん、全然」
今来たところ、と私は聖母マリア様が乗り移ったかのように優しい笑みを湛えた。本当は、洸平に間の抜けた顔をしたくなくて、待ち合わせの10分前からスマホをポーチにしまって、彼の来るであろう改札の方向だけを見ていたけど。そんなことはどうだっていいのだ。
洸平、私の恋人よりも大好きな人。そして、友達の愛花の付き合ってる彼氏。
愛花は私と違って、洸平と共にミスコンに出て、局アナになって、インスタのフォロワー数も半端ない人数で、何でも持ってるんだから、洸平くらい私にくれればいいのにと思う。極めつけに「私ってなんだか楽しくやってたら、いつの間にか成長できてるんだよね」なんてほざきやがって、気付いたら私といい感じだった洸平をも持っていった。私は愛花が憎たらしくて仕方がない。
「俺、都といたら安心する」
愛花といると、俺って俺じゃなくなる気がするんだよね。こんなこと言えるの、都しかいないよ。
―洸平は、私にだけ本音を言ってくれる。都と出会うよりも前から洸平と出会っていたからか、何でも話してくれるし、性癖だって、本当はドMなところも私にだけ見せてくれる。彼氏と付き合う前からずっと好きだった人、洸平。私は洸平のことが可愛くて愛おしくて仕方なくて、彼といる時間以外はどうだっていいと思っているのだ。
いい感じの個室居酒屋に行き、レモンサワーとかハイボールとか飲みながら話を聞き、ボディタッチが多くなって頃合いが良くなってきたら、どちらからとは言わずとも夜に輝く城へと足を踏み入れる。もちろん愛花や私の彼にバレないように、会う頻度もタイミングも調整に調整を重ねて逢瀬を重ねている。
えっ。それって、セフレじゃん。と誰かは言うだろう。それでもいいのだ。私は洸平が好きだ。洸平だって「都のこと好き。愛花と付き合ってなかったら付き合いたかった」と言ってくれる。早く愛花に捨てられればいいのに、そしたら私達は公に付き合えるのになと思う。とりあえず、今はセフレという友達としてでも、洸平との愛を育みたかった。
今日も個室居酒屋からのラブボに行くのかな、と思いきや、洸平は駅のスターバックスに入った。
「えっ、どうしたの?スタバ飲みたいの」
「都、聞いてほしい、話があるんだ」
何だろう。洸平が真剣な顔をしている。普段「イチャイチャしたいなぁ」なんて甘えてくる彼とは、違う顔。まさか、私達の関係が愛花にバレたのだろあか…私は脇の下で嫌な汗をかく。とりあえず、洸平にコーヒーと、私用のミネラルウォーターを買って、席に着く。
駅のスタバなだけあって騒がしい。洸平はコーヒーを飲むばかりで話始めない。私はこういう時の男性は急かしても良いことがないと知っているので、静かにミネラルウォーターのキャップを開けて喉を潤した。
「あのさ、今まで都がいてくれてほんとによかったと思ってる。愛花とのグチ聞いてくれるし、さみしい時もそばにいてくれるし、都のこと大事に思ってる」
でも…と続かんばかりの重苦しい展開。私は自分が何か洸平の気分を害することをしただろうか?愛花にバレたのだろうか?と気が気でない。でも、答え次第では次の展開は何とでも出来る。そう思っていた私の幻想は洸平の次の一言で完膚無きまでに崩れ落ちた。
「今度、愛花と結婚するんだ」
え、そうきたか。あぁ、結婚ね。。洸平の今にも逃げ出しそうな顔に、笑いそうになりながらも、心は冷静だった。
「へぇ、結婚するんだ、おめでとう」
「だから、もう俺達…」
洸平が汗をかきながら継ごうとする言葉を私は遮った。
「いいよ、もう終わりにしようってことでしょ。大丈夫、私そこまで嫌な奴じゃないよ、洸平だって分ってるでしょ。もし、また友達として何か相談してくれたら聞くし、愛花とお幸せにね」
私はいつもみたいなマリアの笑顔で、それだけを言い切ると、ミネラルウォーターを持って店を出た。
「都…ごめん…俺」と何か言いかけた洸平を置いていくのはいい気味だった。だけど、エスカレーターに乗って、後ろを振り返ってももうスタバが見えなくなってから、激しい感情が私を襲った。
「洸平は追い掛けても来なかった。結局、私なんかよりも局アナを選んだんだ、私は遊びだったんだ、そうだよね、わかってた。私が好きなら愛花とはとっくに別れてるよね」
しねよ。愛花も洸平も絶対にしあわせになんかならなければいい、ふたりとも嫌い、幸せになんて1ミリも思うわけないじゃない。
二人に捨てられた私が哀れ過ぎてしにたい気持ちになった。洸平に振り向いて欲しくて、ダイエットして、仕事もがんばって、習い事もして、資格も取って、話し方とか接し方もオシャレも、沢山沢山勉強したけど、努力ではもう何ともならない領域だってあるのだ。というか、私みたいなそれなりの女は、人生努力したって、愛花みたいな天性のカリスマには勝てっこないんだ。
あーあ、アホらし。それで、1ミリでも洸平が振り向いてくれると思ってた私も馬鹿らしい。
私は夜の街を彷徨った。お気に入りのミハマのパンプスで、洸平と行くはずだったであろう居酒屋とかホテルとかがあるエリアを闊歩した。コツコツコツコツ
歌舞伎町のこの時間のカップル達ってみんな害虫みたいに見える。汚い。ベタベタしちゃって、そこら辺の汚いホテルに入って致すこと致すだけなのに。
コツコツコツコツ
私と洸平もあんなニヤニヤしてたのかな、気持ち悪い。
コツコツコツコツ
そもそも、洸平キモすぎる。顔が良くて耐えてたけど、私本当はM女だし、もっといろいろしてほしかったのに。あーあ、愛花に性癖バレて婚約破棄にならないかな。
コツコツコツコツ
あー…それでも好きだったんだよなぁ。
コツコツコツコツ
どれくらい歩いただろうか、たちんぼの女の子達がこっちをみているのが気まずくなったのと、ホテルに入る想定で薄着なので身体が冷えてしまったのとで、一旦歌舞伎町から離脱することにした。
代々木まで、電車に乗りたくなかった。家に帰っても、陰鬱な気持ちなのは想像がついたからだ。
私は、しばらくどこにも行けずにいたけれど、おしゃれな灯りが目についたので、カフェに入った。
本当は考えなしでカフェに入ることなんてあり得なかった。なぜなら、カフェインで肌が荒れては困るし、乳製品も甘いものもなるべく摂らないようにしているからだ。愛花みたいな人にはわからないだろうが、私はニキビも肌荒れもしやすいタイプなので、我慢に我慢を重ねないと愛花には追いつけないのだ。まあ、結局しても無駄だったけど。
2階席で窓の外を見る。洸平は今頃愛花のところに行っているのだろうか。あの寂しがりやが一人で夜を過ごせるとは思えない。私のことを思い出しながら二人で致せば良いと思う。急にムカついて来た私は、普段絶対に頼まないメニューを頼んでやらぁ、と意気込んだ。
「すみません!このチャイラテひとつください!」
28年の人生の中でソイラテは頼んだこと数しれずだったけど、チャイラテは頼んだことがなかった。インドのスパイシーな紅茶のラテっぽい。こんな時間から飲んだら肌荒れしそうだし、眠れないだろうな。明日も仕事なのに、何やってんだか私は。
運ばれてきたチャイラテは可愛くハート型にミルクが注がれていた。私はチャイラテに口をつける。
甘い…。
もう既に砂糖が入っているみたいだった、しかも結構な量。でも、ミルクと砂糖がたっぷりはいったチャイラテは、この人生で飲んだどの飲み物よりも美味しかった。
「小さい頃、夜中に飲んだ麦茶といい勝負だな」
悔しいけれど、愛花はすごい。どんなことも楽しんで取り組めるから、周りの人も笑顔になる。それに比べて私は、努力の方法が間違っていたのかもしれない。だって、我慢し過ぎて、心から笑えたのがもういつのことだったかわからないくらいだから。
「チャイラテって、こんなに美味しかったんだ」
きっと、洸平がいない人生なんて楽しくないし、明日から苦しいと思うけど、あったかくて甘いチャイラテみたいなのを沢山見つけて、いつか洸平も愛花もどうでもいいと思えるといいな。
涙が音もなく溢れた。砂糖多め、チャイラテの夜。