…最近気が付いたけれど、スマホで同じ記事書いたら、PCと競合しちゃうかもしれない。
芦原先生の訃報は、昨日Twitterを見て知った。とても残念で仕方がない。先生の描いた「砂時計」という漫画が大好きで、父に全ての娯楽品を捨てられた時も母が「これはやめてあげて」と言ってくれたくらい、私にとって大事な作品だった。当時、親に何か強請るのが怖い私だったが、この作品に登場した「仁摩サンドミュージアム」という島根にある中々の僻地(失礼)にも「連れて行ってほしい」「主人公と同じ砂時計を買ってほしい」とせがんだ程だ。この作品、とても好きなんだけど「すずめの戸締まり」と一緒で入り込みすぎてしまって体力を奪う作品なので、何度も見返せない。実際「砂時計」を一周出来た回数はそんなに多くない。そんな私が芦原先生の何を語れるのか、烏滸がましさがあるけれど、確かに先生の作品に救われた。傷を負いながらも懸命に生きる登場人物達は抑圧された私の人生にとって微かな希望だった。
一連の経緯は何となく見ていたけれど、先生が何故亡くなってしまったかとか、誰がどうだったとか、オーディエンスの私に何も言えることはない。ただ私が先生の漫画に救われたという事実がそこにあって、言いようのない悲しみを抱えてそれでも今日も通勤する自分がいる。ただそれだけだ。誰も責めようとか攻撃しようとか思わないから、ひっそりと。