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天鳳寺女学院には、師弟制度というものがある。一つ上の学年の先輩が後輩を指導するというものだ。イメージとしては、宝塚の本科生・予科生とか、「マリア様がみてる」の姉妹(スール)制度かもしれないが、天鳳寺の師弟制度はそんな良いものではない。
天鳳寺の師弟制度は、心の繋がりというよりも、見張り・連帯責任のような側面が強い。朝の掃除の指導から、共有された学習進度の確認、日常の生活習慣や校則を順守しているかの躾面まで、ありとあらゆることを師から見張られ、そして指導される。弟である下級生が決められたことをきちんと守れていないと、師の上級生も連帯で怒られてしまうので、自ずと指導も厳しくなる。教師陣曰く、こうして「規律の天鳳寺」が守られているのだそう(この師弟制度がある為に天鳳寺に我が子を入れたいと思っている保護者もいるのだそう)。まぁ、私は教師の指導の手間を省く為の何とも嫌な制度だと思っているが。
「ねえ、あなた4STEPの問130までちゃんとやりました?」
そう私に問うのは私の師である高校三年生の大泉鞠夜。鞠夜のことを一言で言うと、とても厳しい人だ。髪を一つに纏め、キリッとした眉と美しい狐目が印象的な鞠夜。家は呉服の商社を営んでおり、自身は弓道をやっているらしい。曲がったことや言い訳が嫌いで、私の適当にやり過ごそうとする様子や天鳳寺を斜に構えて見ている態度も許せないようだ。思えば、最初に会った時から制服のネクタイが歪んでいるとか眼鏡がずれているとかアホ毛が出ていてだらしないとか、些細なことでムッとしていたので、私のことは生理的に受け付けないタイプだったのだろう。だから、鞠夜の学習進度確認の時間は私にとって苦痛以外の何物でもない。
「あなた、この問127、解法を書く字が乱れておりますわ、適当に書きましたわね。もしかして、答えの本をどこかから入手して写してません?」
鞠夜のネチネチとしたヒステリックな声が私の耳に障る。
「大泉さん、そんなことはございませんよ、私の字が汚かったのは謝りますが、きちんとやりましたよ」
私はぎこちない敬語と張り付いた笑顔で必死に弁明をした。
「へえ、まあいいけれど。社会に出た時困るのはあなたなのよ」
「申し訳ございません。いつもご指導ありがとうございます」
…なーにが「社会に出た時困るのはあなた」だよ。この女、そういうネチこい言葉で一々私を責めてくるから嫌いだ。
でも、あと一年したら鞠夜も卒業する、これまでも一年耐えてきたので、あと一年つつがなくやり過ごそう。鞠夜に怒られながら、私の心は窓の外の阪神の街並みと海へとフォーカスしていた。
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「アンタの師ってマジで堅すぎだよね、ほんと可哀想」
学習進度確認終わり、いつもの天文台への階段で茉莉音が待っていてくれたので、隠し持っていたメルティーキッスでささやかなお疲れパーティーをした。
天文学部が活動するのは主に週末の夜なので、普段天文台への階段には誰も来ない。私達にはピッタリの密会場所だった。
「本当に。アイツ意味わからん、大泉マジでムカつくわ」
「ふふ、ここのお嬢様方や保護者が聞いたら卒倒しそうなセリフね」
メルティーキッスをつまみながら茉莉音が笑う。
「もうこの学校やめたい」
「ダメよ、私がひとりになるじゃない」
その言葉にハッとして茉莉音の方を振り返る。茉莉音はメルティーキッスの粉をぬぐいながら、真剣な目で言う。
「そしたら、困るし」
「でも、茉莉音はすぐ友達出来るじゃん」
事実、私はクラスでも浮いている方だけれど、茉莉音は誰とでも話せている。
「そうね、でも私はアンタといたいけどね」
「あっそ」
「素っ気ないな」
手足が長くて大きな瞳と整った顔立ち。誰から見ても可愛くて、家も大きなお寺で、成績も優秀。そんな茉莉音が私と一緒にいる理由がよく分からない。本人曰く「中学からの人間関係に疲れた」らしいけど、そんな優秀な人間が、自分と同じようにこの学院に息苦しさを感じていることが何となく嬉しかった。
茉莉音は私がいなくてもきっとやっていけるだろう。中学三年間だって、そうやって乗り切ったのだろうし。でも、私は茉莉音のいない天鳳寺を知らない。この二人の関係に助けられているのは、私の方なのだ。
「ありがとね」
私が呟くと、茉莉音はフッと笑った。顔は見てないけど、何となくそんな気がした。