突然だけれど、あなたは運命を信じるだろうか。え、私?私は信じない。だって、もしも運命なんてものがあるのならば、この27年間私は一度も運命には遭遇していないことになってしまう。それって、ツキから見放された人生みたいで何だか嫌だなと思う。だから、私は運命なんてものは信じない。
…だけど、もしもほんの少しでも運命の可能性が私にも残っているとするならば、願わくば、大学の同級生の中村梓と1mmでもいいから引き合わせて欲しい。彼女とまた巡り会いたい…と思っている自分がいる。今更少女漫画みたいな心中で笑えるけれど、私は今彼女のことが頭から離れなくて、胸が苦しいのだ。
「男とも女とも散々遊んできたのにな…」
今まで抱くことは多々あったのだけれど、抱かれて且つ、自分が女だとあれ程までに意識したことは今までに一度もない経験だった。
私は雨の降り続けるカフェの窓辺で、苦しい胸を慰められる訳でもなく物思いに耽っていた。何気なくマグカップの底に溜まっているすっかり冷めたコーヒーを見つめていたら、グロスの油が浮いていることに気付いて、その飲み残しに一種の嫌悪感を覚えた。
人間もこうなったら終わりだ。グロスだってコーヒーだって、その時の旬ってものがある。旬はTPOがバッチリそろって初めて発動される物事の魅力倍増マジックなのだ。だから、一歩間違えただけで冷め散らかしたコーヒーとか固まったみっともないグロスとか、興醒めな姿を晒してしまう。私は今まで旬、殊更にタイミングを見極めて生きてきた。梓とも、あの夜が頂点だろう。それは27年生きてきて、感覚でわかるのだ。だから、盛り上がっている中綺麗に終わるには、このまま会わないのが一番なのだ。
「だけど、会いたい」
「もう一度梓に抱かれたい、あの夜のようにお姫様みたいに扱ってもらいたい」
「でも、これ以上会って醜態を晒して嫌われたくはない」
「苦しい」
ずっと心の中が苦しい。どうしようもない動悸が私に息をさせようとしない。私は、あの夜の甘美を反芻しながら、折り混ざる胸の痛みをモルヒネみたいに麻痺させようとしている。どうしようもなく何度も何度も未練たらしく、冷たい手を握り締めた瞬間とか、梓との初めてのキスのくすぐったさとか、ベッドの中で顔を火照らせた彼女を襲ったこととか、いつの間にか形勢が逆転していたこととか、そういうことを繰り返している。
私の普段の仕事は、流通サービスの法人営業だ。ある程度取引先は決まっている為、特段のストレスはないのだけれど、最近は梓のことを考えてしまって仕事のことが考えられなくなってしまっている。それが私にとってひどくストレスだった。
今は、次の取引先に行くまでの休憩としてカフェで時間を潰しているのだけれど、その間も「もうすぐバレンタインだな、梓はどう過ごすんだろう。もしかして連絡してきたりしないよな…?」と楽天的思考になったかと思えば、Yahoo知恵袋で「レズ ワンナイト また会う」や「レズ ワンナイト 付き合う」といった検索をかましては一喜一憂して、ひどく自分の精神を疲れさせていた。
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ふと眩しさを感じて見上げると、厚い雲の切れ間から太陽の光が差していた。しかし、完全に晴れた訳ではなくて、まだ雨は降り続いているーキツネの嫁入りってやつだ。その時、ガラスに映った自分の顔が見えた。睡眠不足のせいか、目の下のクマと肌荒れが目立ってひどくやつれていた。あーあ。今までみっともない女になりたくなくて、スキンケアとか自分磨きはそれなりに頑張ってきたつもりだったのにな。梓に会ってから、自分の完璧だったはずの生活リズムが完全にぐちゃぐちゃになっている。自分という存在・積み上げてきた日常がたった一人の存在にかき乱されていることが許せない。
「もう嫌だ、梓になんて会いたくなかった。最悪だ」
ー梓を忘れるには、時間が必要だ。梓だって、ほんの少し他の人と違っただけで、今まで寝てきた相手と変わらない一人なんだから、時間が経てば忘れることが出来るだろう。でもそれまでは、今日の天気のように、心の中に狐の嫁入り的な葛藤を抱えて日々を生きていかなければならないのだろう。
終わりの見えない日々を想像するとひどく溜息が出てしまった。「悩んだって仕方ない、もうこの苦しみを解決するのは時間だけなのだ」とえらく明るく自分を鼓舞して、心のわだかまりみたいな飲み残しを返却口へと戻し、私は店を後にした。