金曜日の夜は仕事から解放された喜びで団地を見に行ったり、美術館に行ったり、三時間以上歩き続けたりしてしまい、おかげで土曜日の朝は遅起きになる。起きて数時間後には13時から始まるコピーライター講座が約四時間半あって、そこでは自分の書いたコピーを身も蓋もなく切り捨てられたりするので、それだけでデリケートなメンタルがすり減ってしまい、あえなく土曜日は終わってしまう。最近は疲れ果ててしまってリモートで受講しているが、以前は何と、わざわざ電車を三本乗り継いで往復二時間使って表参道まで行っていた。更に、ちょっと前までは土曜の講座終わりに同期と飲みに行き、日曜日は朝7時からカラオケで三時間歌いっぱなしに行き、その後図書館へ行き本を返したり借りたりして、隣町との間にある安いスーパーで大量に食糧を調達したいたのだけど、つい二週間前に疲労のピークを迎え、全ての予定をキャンセルしてしまった。これをきっかけに自分の体力の無さとキャパの限界をひしひしと実感し、日曜日はちょっと休むことにした。
とはいえ、私はなにもしないということが苦手である。というのも、小さい頃から「何もしないことはよくない」と父に言われ続けていたからである。思えば、土日の朝は同級生が夢中になっていたような戦隊やヒロインたちのアニメを見たことがなく、教育熱心なパパゴンにより午前中はお勉強の時間と定められていた。元々怠惰な私は「他の家の子は『おジャ魔女どれみちゃん』を見せてもらっているのに、何故うちでは見せてもらえないのか」と幾度と反抗したが、その度に「他所は他所、うちはうち」と一蹴されてしまった。お陰で他の子よりちょっとは勉強が出来るけど、何とも無気力で自分では何も選べないお子になってしまった(しかしその後、中学生になり全面的に勉強ストライキをするのはまた別の話)。更に勉強が終わると、ありがたいのだけれど、どこかへ連れて行ってくれたり、本屋さんで本を買って喫茶店で読むという習慣をつけてくれた。私は父がいなければ、東京の大学には行ってなかっただろうし、ただの阿呆の子となっていただろう。ちょっとした学歴をつけたことは感謝している。
ただ一方で、父は怠惰を許さなかった。土日にぐうたら眠ることや家に閉じこもることはよくないこととし、常に動き回っていた。今還暦を少しばかり超えた父だが、精力的に仕事をしている。バイタリティに溢れる方なのだ。まあ、そういう父に育てられたことで良かったこともあるが、弊害として休むということが苦手になってしまった。常に成長していないといけない、前に進まないといけない。そのことは三十を手前にするまでずっと私を苦しめ続けた。昔付き合っていた彼には「瑠璃子は電池が切れるギリギリまで動いているね、しんどいなら休みなよ」と言われてしまった。正論である。
「疲れた」「しんどい」というと父は怒った。少しでもサボろうとする兆候を許さなかった。いつしか私自身も努力しない同級生や遊んでいる人を見ると、どこか蔑んだ視線を送るようになってしまった。
疲れたら休むというシンプルな原理を自分に適用できるようになったのは最近のことである。今日もその原則を適用して「なんでもない日曜日」を過ごした。ドラッグストアで日焼け止めを買って、喫茶店に行って図書館で借りた本を読んで、スーパーでお寿司を買った。もしかしたら、既に外出している時点で「なんでもない日曜日」じゃないじゃん!って言われるかもしれない過ごし方だが、本当は歌の練習をするためにカラオケに行きたかったし、図書館で読みきれない程の本を借りたかったし、上野の公園を歩き回って銭湯にも入りたかった。体力は一端にないくせに、やりたいことだけは無尽蔵だ。
なりたい自分となれない自分のギャップに焦ってしまうこともあるけど、なんでもない日を過ごす自分を許せるようになってからがこの人生の醍醐味とも言える気がしている。所詮、ちっぽけな人間が焦ってもゆっくりしても、長い地球の歴史からしたらたった一日の出来事なのだから。