花まつり②
茉莉音の場合
花まつり、それはお釈迦様のお生まれになった4月8日をお祝いする行事。
ー私、薬師寺 茉莉音はお寺の子なので、生まれた時から人生はお釈迦様と共にあり、毎年の花まつりも決して逃れられない定めだった。
ミルクティーよりも甘茶の味を覚えているし、讃美歌よりも仏歌が口をつく。私の名前は人からよく「可愛い」と言ってもらえるのだけど、茉莉花はジャスミンのことで、音は仏歌を表すので、実はこれも花まつりから連想して付けられた名前だ。ちなみに、茉莉花には優美という意味もあるが、一方で官能的という意味もある。両親がそこまで知っていたら「茉莉音」なんて名付けをしただろうか、と考えることもある。考えたところで、私の仏教的運命からはもう逃れられはしないのだけれど。
私が小学4年生の夏だった。塾の三者面談からの帰り道で「聖愛学園に行きたい」と言うと、母は「檀家に顔が立たないから」という理由でその進路を却下した。その時私はまだ「きっと頼み込めば聖愛を受験させてくれるはずだ」と信じていた。模試の判定もAだったし、塾講師からは「熱が出なければ、聖愛も天鳳寺もどちらでも受かると思います」と言われていた。そして、実際、聖愛も天鳳寺も受けさせてもらえた。そう「受けさせて」はもらえた。だけど、合格した第一志望へは入学させてもらえなかったのだった。
「聖愛は天鳳寺受験の練習なの」
親にそう言われた時、狂ったように暴れた。「天鳳寺には行かない」と言うと、ご飯抜きにされ、頭を冷やすように言われた。子どもの私は無力だった、たかが12歳の少女に何か変えられるはずがなかった。私は月が差し込む蔵の中で、自分の人生を恨みながら、運命に抗うことをやめた。
4月8日の花まつりは、お釈迦様がお生まれになった日で、それから私が私を諦めた日。4年前の今日、私は仏花と仏歌が溢れるこの講堂で「この学院から早く卒業しよう、きっと真っ先に出ていってやる」とそのことだけを考えていた。
ー思えば、あの日から随分遠くへ来た気がする。相変わらず学院のことは嫌いで、あと2年も禁固刑の刑期があると思うとうんざりする。だけど、最近は前程自分の人生を恨んではいない。すぐそばに愛がいてくれることはかなり大きい。自分と同じように学院に馴染めず、時が過ぎ去るのを願っている愛は、私にとっては孤独の中の戦友のような存在なのだ。愛がいてくれるお陰でまた「楽しい」という感情を思い出すことが出来たので、愛には感謝しかない。
毎年、花まつりの時期になると感傷的になってしまう。こうやって過去の回想をしているうちに花まつりの一通りが終わって、ついに我々二年生の出番のようだ。これから私達の弟になる、松ノ下菜々緒と齋藤まりかは、気怠い学園生活に楽しさを与えてくれるだろうか。いや。正直なところ、あまりこの学園のお嬢様方には期待していないので、面白くなくてもいい。どうかペナルティだけはありませんように。と願いながら私は新入生入場の拍手をするのだった。
愛の場合
花まつり。今日この日に弟を迎えるということは、私が天鳳寺に入学して一年が経ったということだ。 私にとって天鳳寺は併願校だったから入学は不本意な結果だったし、何よりお嬢様学校だと聞いていたから憂鬱だった。中学からも天鳳寺に行く生徒はまずおらず、教師達の間でも「八幡はやっていけるのか、ランクを落としてでも二次試験で別の高校を受けた方がいいのではないか」と真剣に議論がなされた。
それでも、一人くらい友達が出来たらいいなと願い、腹を括って天鳳寺に入学した訳だけれど、それはシュガースティック5本分くらいは甘い期待だった。クラス発表、着席、しばしの歓談、講堂での花まつり、師弟の結び、この殆どで天鳳寺生同士が顔見知りである確率が高いことに気付いてしまった。後で知ったが、天鳳寺はあまり高校からの入学者を採っておらず、9割が中学からの進学者を占めていたのだ。更に、数少ない高校からの入学者も大体が同じ高級住宅街に住んでいたり、その近くの学校や塾に行っていたせいで何かしらの顔見知りのようで、私の入る隙間はなかった。
「分かってはいたけどさ。こんなのってあんまりだよ…」
親も結構な額の入学金を払ってくれている手前、辞めたいとも言えないし、これからの三年間をどう過ごそうか今以上に深刻に考えていたのを覚えている。
齋藤まりかー今度私の弟になる、アイドルと同姓同名の彼女も私と同じ高校からの入学者だ。「彼女が私と同じ思いをしませんように」と私は祈った。
「あ、愛。新入生くるよ…!」
茉莉音がひそひそ声で私に告げる。感慨に耽っている内に、花まつりが始まったようだ。新入生達は、一糸乱れぬ隊列で入場し、私達在校生の前の椅子に座っていく。心無しかその表情はどこか緊張の面持ちだった。私と茉莉音もあんな表情だったのだろうか。
と、最後のCクラスが入場してくる時、会場がざわめいた。
「あれ、キミセカの齋藤まりかじゃない」と誰かが言うと、茉莉音も「やばいね、愛。楽しくなりそうだよ」と何故か私よりも楽しそうな様子で言うのだった。いや、冗談じゃない…アイドルの指導なんて私には荷が重すぎる。それに、アイドルの師なんていやでも比べられてしまいそうで嫌だ。
青汁を飲んだ時くらいむんずと顔を顰めて校歌を歌い、代表挨拶を聞き、どうやって数珠を渡そうか考えた。とりあえず、注目されるのはごめんなので、空気にでもなりきろうと方向性は固めたものの、どうすれば空気になれるのかは分からなかった。そしてそのまま数珠を授与する時間になった。
茉莉音が時折こちらを見て笑うのがちょっと癪に感じる。完全に人ごとだと思ってるな。私は少しイラッとしながら数珠を取り出し、齋藤まりかの方をみた。
齋藤まりかは緊張していた。白くてお人形さんみたいな顔に泣き出しそうなくらい潤んだ瞳で私を見つめている。目が合うと、少しぎこちない笑顔でふわっと笑った。ー可愛い。アイドルをあまり知らない私でも分かるくらいに可愛い。それに、緊張しているのに笑顔を見せようとするのがなんとも健気で抱きしめたくなる。私は柄にもなくドキリとした。
「私は八幡愛です、これからよろしくお願いします」心中を悟られないように落ち着いた風を装って挨拶をすると、数珠をまりかに手渡した。まりかは数珠を受け取ると嬉しそうに「はい、私は齋藤まりかと申します。不束者ですがどうぞご指導の程よろしくお願いいたします」と深々と礼をした。他の師弟達でここまで礼をしている人達はいなかったので、まりかは余計に目立った。でも、悪い気はしない。私は彼女を指導し切れるのだろうかという不安もありつつも、どうか彼女の学院生活が実りあるものになるよう手助けができたらいいなと思うのだった。