銀ブラ

 昨日は、日比谷で初めての宝塚観劇を果たして、その足で久々の銀ブラをした。昔銀座には少しだけ住んでいたので、その時のことを思い出して妙にしんみりしながら歩いた。ー銀座8丁目の四畳半で歳下の男と暮らしていた日々。築半世紀を超えるマンションはテカった茶色い肢体と濁った漏水に蝕まれ、今にも崩れ落ちそうな様相だったか。違いに些細なことに苛立ちあって、時には怒号が飛び、住人に警察を呼ばれ、男との生活の最後に残ったのは、涙と遺恨と、マンションの立ち退きのお知らせだけだった。

何にしがみ付いていたのかも分からないお金と神経をすり減らす共同生活は、建物の取り壊しと共に呆気なく終わった。きっと、古びた住処が、不健全な恋の拠り所となっていたのだろう。立ち退きの日、私は全ての荷物であるデカいiMacとキャリーケースを持って、その足で東京駅から故郷に帰った。もう二度と東京には来ることはない気がしてた。

そして今。なんの因果か分からないけれど、また東京で働いて、東京で暮らしている。その間、昔の恋とか流した涙とか、そんなのはひと時も思い出さなかったけれど、こうして銀座に来てみると、過去の私がビルの隙間や大通りの隅っこから顔を出す。今の自分は、きっとあの時の私の積み重ねで出来ている。

銀座和光の時計光る4丁目の交差点を自分の庭のように思っていた私、銀座シックスの裏の塩ラーメンを夜中に食べて顔を浮腫ませる私、喧嘩して路地で泣いていたところをカップルに慰められる私。

こうやって書いていると「…誰それ?」とか思っちゃったけど、紛れもなく数年前の私だ。数年前の「彼と離れるくらいなら死ぬ」と本気で思っていた私は、まさか今の私がそこそこ大きい会社でOLをやっているなんて思いもよらなかっただろう。男と暮らさなくてもしあわせで、宝塚を観て優雅にお茶を飲む日曜日が来るなんて信じられなかったはずだ。あの時は悲しくてどうしようもなかった絶望も、今じゃちょっと笑えてしまう。これまでそうやってなんだかんだと人生を生きてきているので、きっとこれからもそうやって昔を懐かしんだりして生きていくのだろう。

これだから、毎日嫌なことばっかだとしても、人生は面白くてやめられないのだ。

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