眠れない夜に

 眠れない夜はソッと布団を抜け出し、洗濯機を回して、成城石井のホットビスケットを20秒だけチンして、水に漬けたシャインマスカットと一緒にストレートのグレープフルーツジュースをやるのだ。どうせ無理に安眠音楽を掛けたって眠れやしない。血糖値スパイクが回るまでの間、やり切れなかった用事でもしてその時を待とうということだ。

洗面所で水の音と共にごうんごうんと洗濯機が回っている。顔を顰める程酸っぱいピンクのジュースを飲んでも、頭はもやがかかったままで、ずっと考えるのは運良く夢の中に出演してくれた彼のことばかりだった。

現実よりも熟れた生々しい感覚。私は青い彼の部屋で、生ぬるいベッドに潜り、彼の腕に抱かれ、夜明けを待っていた。ー久々に嗅ぐ男の人の匂いは悲しくなる程違う家の匂いがした。

嬉しくて切ない、底抜けに悲しい。これまでもそうだったけれど、きっとこれからも私には、男の人の腕に抱かれ、心から喜べる日は来ないのだと思う。

しあわせは、いつだって、どこかに終わりの予感を孕んでいる。私の脳みそには百人一首の54番目の歌人、儀同三司母の歌が痛いほどに刺さる。

「忘れじの行末までは難ければ 今日をかぎりの命ともがな」

彼に会う日は、いつもこのまま時が止まればいいのにと願う。でもそれが出来ないならせめて、また会ってもらえるように精一杯の自分でいよう。みっともない真似はしない。死んでも私から「好き」なんて言って泣いて縋ったりしない。

シャインマスカットを取った指が冷水に触れてきゅんとなった。皮の中の果実は白い歯に潰されて、みずみずしい爆弾となる。真夜中に甘いものを食べるなんて太って肌の荒れること、いつもなら絶対にしない。何故なら彼に会う日に肌が汚くては嫌だからだ。

でも、彼にはこの前会ったばかりだから、きっとこの先数ヶ月は会えない。精一杯背伸びしないと会えない人に会って、私の全細胞は興奮で疲れ果てていた。彼に会った後は悲しくてご飯が食べられないか、もしくはその逆になってしまう。

スポーツ選手がオリンピックにピークを持ってくるように、私も彼と会う日にピークを持っていければいい。とりあえず、不眠になってしまうくらい疲れた今の私には、甘いものが必要なのだ。彼がうちにいないのに、食べなけりゃ、毎日やってらんない。こうでもしてなきゃ、彼に会う前に私は死んでいるだろう。

ピーピーピーカタン…と洗濯機の止まる音がした。時計は見ないようにあえてメガネをしてなかったのだけれど、ちらっと見えてしまった数字は1:41になろうとしていた。

そろそろ、洗濯物を干して寝ましょうか。とりあえず、今夜はもう彼の夢を見ませんように。そして、願わくば明日の朝起きたら、記憶から私の価値基準であり、神である彼が一つ残らず消えて、平穏な世界を捉えられますように。。なむなむ

そしたら、この文章は、きっともう読み返すことはないでしょう。

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