第4話:浅香山学園前駅
「学園前、浅香山学園前」
アナウンスと共に電車がホームに緩やかに入線する。浅香山学園前駅、私がずっと封印していた思い出の場所。確かに今でも2号車3番扉は学園への最短の出口だった。
「先生の言ってた通りだったんだ」
私は13年経った今、ようやくそのことに気付いて涙腺が緩くなっていくのが分かった。
思えば、先生はいつだって優しかった。私を分かってくれるのは先生だけだった。中学生の頃、ロリータファッションやアイドルが好きだった私は、頭の高い位置でリボンを結んでツインテールにしていた。でも、そんな格好は同級生の間でも浮いていたし、厳しい父親にもみっともないからやめなさいと言われていた。今思えば、自分を分かってくれない周りへのささやかな反抗の意味もあったのかもしれないけれど、当時は相当いじめられた。先生のいる学習塾に入る際も、私に入塾を薦めてくれた幼馴染の由美子ちゃん以外は当然のようにみんな私を白い目で見ていた。
そんな中、ある日塾で私の担当である数学教師にいじられ、みんなに笑われて思わずカッとなった私は、その先生と喧嘩になってしまい、更に孤立を深めてしまった。
「お前の髪型はハンドルか何かなんか」
「うるせえ、おっさん。黙れ」
「君がそんな変な髪型してるからやん」
「もいっぺん言ってみろ」
今思い出しても恥ずかしいけれど、家庭でも学校でも孤立していた私は他人との接し方が分かっておらず、キレることでしか不快感を表せなかった。そして、ついに言ってはいけない様な言葉を使ったりもして、数学の先生と言い争いになってしまったのだ。
「お前が女じゃなかったら殴ってるぞ」
大分怒っている数学教師を前に、ヤバいとは思ったが、もう引っ込みが付かなくなっていた。どうしよう。私はどうすればいいかわからなかった。そんな時に現れたのが先生、こと黒崎秀成ー…秀ちゃんだった。
「ねえ、高坂先生、それくらいにしといたら」
黒崎先生は、大きなハッキリとした声で言った後に、笑いながら、
「多分、この子と高坂先生相性合わないよ。俺が見る」
そう言って、私のことを引っ張っていった。
「おい!何すんだよ」
空き教室に連れて行かれた私は先生に怒鳴った。すると先生はくるりと振り返り、私の目を見て言った。
「山本、お前本当はあんな風に言い合いしたいんじゃないんやろ」
じっと私を見つめる眼差しに、決まりが悪くなった私は目を逸らしながら「うるさい…」と言い、半分泣いていた。今まで、誰からも目を見て話してもらったことがなかったし、こんな風に心中を見透かされたこともなかった。どうしていいか分からず、涙を流すしかなかった。
「お前、塾に行ってもいいかなって中川に言ってここに来たんやろ。ほんまは勉強出来るようになりたくて来たんやろ」
「うるさい…」
二度目のうるさいを言うと、先生は私の頭を持って、正面を向かせた。
「目を逸らすな、ちゃんと見ろ」
多分、この時の私はいろんな気持ちが溢れて、涙と鼻水でぐしょぐしょになっていたと思う。見られたくない顔を見られて最悪の気持ちだった私は、目を閉じて唸った。
「ゔ〜…うるさい…グスッ…あんたに何が分かるねん…」
「分かるよ、分かるから目を開けな、ここでちゃんと見れへんかったらお前一生このままだよ、それでいいの」
目を開けるのは癪だったけど、あんまりに優しい声に、これ以上失望されたくなかった。
「俺は、高坂先生の代わりに山本の担当になる。お前やる気だけは多分あるみたいだし、これからあんたと一年一緒だ、よろしくな」
私は、恐らく一生のうちで一番汚い顔を先生に向け、睨みつけながら無言で頷いたのだった。
先生はそれからというもの、いつも私に向き合ってくれた。些細な助言から大きな相談まで、いろんなことを私に伝えてくれた。まあ、お金をもらって仕事だからそうしていたといえばそうなのかもしれないけれど、私にとって先生は人生を救ってくれた恩人だった。一生のうち、たった一年だけしか一緒にいなかったけれど、ずっとずっと忘れないと思う。
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「浅香山学園は、学園前駅からデッキで直結してるから、電車から降りてすぐ。迷うはずがない」
受験前に先生が言った言葉は今でも覚えている。
「山本は快速急行の2号車の3番扉のところに乗ってくるんだ、特急は料金がかかるからダメだぞ、その位置に乗っていたら浅香山学園まで一直線だ、合格も間違えなし」
その言葉のおかげで、私は受験当日も迷わずに浅香山学園まで行って試験を受けることが出来た。
ずっと私の浅香山学園合格を祈ってくれていた先生。先生は今どこにいるんだろうか。果たして、先生がまたこの2号車の3番扉の乗車位置に降り立つ日はあるのだろうかー。